ニューヨーク在住の前衛作曲家・美術家の刀根康尚による新作の他、
大友良英およびジム・オルークとの、この日限りのセッションを横浜で行います。
概要
- 日時
- 2009年11月22日(日) 開場: 19:00 / 開演: 19:30 (21:30終演予定)
- 会場
- 新港ピア (神奈川県横浜市中区新港2-5)[Google Map]
- 料金
- 予約: ¥3,000 / 当日: ¥3,500 (税込/all standing)
- 予約
- 終了いたしました。
- 出演
- 刀根康尚、大友良英、ジム・オルーク
- クレジット
- 主催・企画・制作:SETENV
共催:ヨコハマ国際映像祭2009
協力:Nam June Paik Art Center / 札幌市立大学 須之内研究室 - お問い合わせ
- SETENV ( email: )
刀根康尚氏の新作を録音にて披露します
刀根康尚氏の来日中止をご案内させていただいておりましたが、このたび、ご本人より、今回演奏を予定されていた「MP3 Corruption Piece」の新規録音が届けられました。
当日会場にて披露させていただくと同時に、この録音を用いての、大友良英、ジム・オルーク両氏とのセッションも検討しております。
2009.11.18
刀根康尚氏の来日中止について
このたび、出演者の刀根康尚氏よりご連絡があり、ご本人の体調が思わしくないため、今回の来日を中止せざるをえなくなりました。
この決定を受け、共演者の大友良英、ジム・オルーク両氏とも話し合いをさせていただいた結果、おふたりに、約2時間(予定)のパフォーマンスをお願いすることになりました。
なお、当日、開演前に、2005年の「Variations on a Silence : Concert」における刀根氏の演奏の模様を再編集した未公開映像を、会場にて上映いたします(19:10より、約15分間を予定)。
また、今回演奏を予定されていた「MP3 Corruption Piece」をNYのご自宅で新規に演奏・録音した音源による、録音参加も計画しております。
刀根氏の出演を楽しみにされていた皆様には、内容の変更を心よりお詫び申し上げます。
何卒ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。
*なお、これまでにご予約をいただきましたお客様につきましては、キャンセルされる場合のご連絡等は特に必要ございません。
2009.11.13
プログラム
本作品は、ヨーク大学(イギリス)のミュージック・リサーチ・センタ―のアーティスト・イン・レジデンス・プログラム「The New Aesthetics in Computer Music」の支援により、同センタ―で作られた。MP3は、ファイルの音声圧縮のプログラムであるが、この圧縮と溶解の間に介入してファイルをコラプトさせ、音響のソースを全く新しい音響に変えるというのが、アイデアの根幹である。コラプションの発生を1から1000までの間のパラメーターとして入力し、その結果エラーが発生する。だが、実際にはコラプトした音響自体を使うのではなく、コラプションが起きた時にプログラムが21のタイプのエラーを報告するという機能をトリガーとして21のビヘヴィアーを自動的に選ばせることによって、音源が全く別のものに変わるのである。[YT]
* 刀根康尚氏の来日中止に伴い、上記プログラムは変更となります。
出演アーティスト
刀根 康尚
Yasunao Tone
プロフィール
刀根 康尚 Yasunao Tone
プロフィール
- 1935年生まれ。1958年頃から即興演奏を始め、1960年に小杉武久、水野修孝、塩見允枝子らとともに即興演奏集団〈グループ・音楽〉を結成、以降、音楽と美術の境界を超える活動を行う。ハイレッドセンターや暗黒舞踏派などとコラボレーションを行う他、美術、音楽雑誌等に多くの文章を発表。また、一柳慧を通じてジョージ・マチューナスを知り、フルクサスに合流する。日本の前衛芸術および前衛音楽に大きな足跡を残し、72年渡米。以降ニューヨークを拠点に活動し、ジョン・ケージやデイヴィッド・テュードアらとともに、フルクサス、マース・カニングハム舞踊団などのイベントにしばしば参加する。 85年からはプリペアされたCDを用いたパフォーマンスを開始。90年代に入り作品がCDでリリースされるようになると、サウンド・アートやテクノ以降の電子音楽の文脈からも注目を集め、驚嘆をもって迎えられた。2001年に「横浜トリエンナーレ」に出展、2002年に「アルス・エレクトロニカ」においてデジタル・ミュージック部門の金賞を受賞、2004年には「Contemporary Art Foundation」の音楽部門で受賞している。2005年には、アートプロジェクト「Variations on a Silence」に参加し、コンサートも行った。代表的な作品に、「MUSICA ICONOLOGOS」、「SOLO FOR WOUNDED CD」、万葉集四千五百首あまりを構成する漢字を全てデジタル化された画像で表現し、それを音声データとして出力させる「Wounded Man'yo」のシリーズなどがある。
Yasunao Tone performing Paramedia Centripetal(2005) at London Synmphony Orchestra St.Lukes in London 5/29/2005
Photo: Alex Delfanne
Yasunao TONE Performing Wounded Man'yo 2001, in Pulse series at Whitney Museum Midtown, 4/5/01
Photo: Paula Court
Courtesy: Whitney Museum of American Art
Yasunao Tone performing at London Experimental Music Festival at Cochrane Theatre, London, Nov. 30, 2007.
Photo: Adrian Nettleship
大友 良英
Otomo Yoshihide
プロフィール
大友 良英 Otomo Yoshihide
プロフィール
- 1959年生まれ。ギタリスト/ターンテーブル奏者/作曲家/プロデューサー。ONJO、INVISIBLE SONGS、幽閉者、FEN等常に複数のバンドを率い、また、Filamnet、JoyHeights、I.S.O.など数多くのバンドに参加。常に同時進行かつインディペンデントに多種多様な作品をつくり続け、その活動範囲は世界中に及ぶ。ノイズやフィードバックを多用した大音量の作品から、音響の発生そのものに焦点をあてた作品に至るまでその幅は広く、ジャズや歌をテーマにした作品も多い。映画音楽家としても、田壮壮監督「青い凧」などの中国映画から相米慎二、安藤尋、足立正生、田口トモロヲといった日本を代表する映画監督の作品、横浜聡子等若手監督の作品、テレビドラマ、CFの音楽等、数多くの映像作品の音楽を手掛け、その数は50作品を超える。近年は「ENSEMBLES」の名のもと、さまざまな人たちとのコラボレーションを軸に数多くの展示音楽作品や特殊形態のコンサートを手掛けると同時に、障害のある子どもたちとの音楽ワークショップにも力を入れている。著書に『MUSICS』(岩波書店)、『大友良英のJAMJAM日記』(河出書房新社)、『ENSEMBLES』(月曜社)がある。
ジム・オルーク
Jim O'Rourke
プロフィール
ジム・オルーク Jim O'Rourke
プロフィール
- 1969年生まれ。音楽家。10代後半にデレク・ベイリーと出会い、ギターの即興演奏を本格的に始める。その後、ロック、ポップス、ジャズ、ノイズ、現代音楽など多岐にわたる音楽活動を展開。マース・カニングハム舞踊団の音楽も担当している。また、これまで、ガスター・デル・ソル、ソニック・ユースといったバンドにも在籍。主なソロ作品は、「ユリイカ」、「インシグニフィカンス」、「ザ・ヴィジター」など。プロデューサーとしては、ウィルコ、ステレオラブ、ベス・オートンら数多くのアーティストを手掛けており、2004年にはウィルコ「ゴースト・イズ・ボーン」でグラミー賞を受賞。また、2003年には、リチャード・リンクレイター監督「スクール・オブ・ロック」の映画音楽を担当。日本映画では、青山真治監督「EUREKA」(2000)、足立正生監督「幽閉者」(2006)、若松孝二監督「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(2007)へ音楽を提供している。
Photo: Kahimi Karie
注意事項
プログラムについて | イベントの内容は予告なく変更になる場合がございます。 |
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主催側の記録・撮影 | 当日、主催者による記録として、撮影・録音する予定です。 |
録音・撮影 | ビデオカメラ、携帯電話、レコーダーなどをお持ちになり、撮影・録音を行うことは、固く禁じます。 |
お手荷物 | 会場にはクロークはございませんので、ご了承ください。 |
禁煙 | 会場内は禁煙となっております。 |
ドリンク |
会場内でドリンクを販売いたします。 ※酒類を含むドリンクを販売いたします。 未成年者の飲酒、および飲酒運転は法律で禁止されており、 固くお断りいたします。 |
ヨコハマ国際映像祭2009 について
CREAM ーCreativity for Arts and Media
現在、一部の人たちのみが生産と流通に関わってきた映像は、デジタル化によって多くの人が自由に扱える道具へと変化しています。今後、私たちにとって文字だけではなく、映像が重要なコミュニケーション・メディアになる時代が必ず来るでしょう。多くの人々が映像を使って社会に参加していくために、多様な個人のあり方が反映される表現と記録について考え、体験するフェスティバルになります。
会期:2009年10月31日(土)~11月29日(日)【30日間】 11:00-19:00(土日祝/10:00-19:00)
会場:新港ピア、BankART Studio NYK、東京芸術大学大学院映像研究科馬車道校舎、他サテライト会場
レポート
刀根康尚、大友良英、ジム・オルーク
3-part in(ter)ventions
2009年11月22日(日)新港ピア
畠中実(ICC主任学芸員)
刀根康尚、大友良英、ジム・オルークによる「3-part in(ter)ventions」は、ヨコハマ国際映像祭2009とSETENVの共催によるイヴェントとして開催された。公演は、直前の刀根の来日中止という不測の事態にもかかわらず、大友、オルークの意向によって、刀根の不在のままに行なわれることになった。刀根の来日が難しいという話が聞かれたとき、たとえば刀根に代わる演奏家を探すということも考えられただろう。しかし、共演者および主催者は、刀根の来日をきっかけとして選ばれた演奏者と企画であるということを十分に理解し、企画内容を変更することはなかった。演奏は、刀根の不在を埋める非常に充実したものになっていた。否、不在を埋める、というよりはむしろ、刀根の不在こそがこのイヴェントの中心になっていたと言えるかもしれない。
演奏に先立ち、2005年に行なわれた「Variations on a Silence: Concert」での刀根の演奏や刀根を私淑するヘッカーとの共演の映像が上映され、予定されていた演目(刀根のソロによる『MP3 コラプション・ピース』、刀根と大友のデュオ、刀根とオルークのデュオの3セット)は、刀根の録音された『MP3 コラプション・ピース』、大友+オルーク、刀根の先の作品の録音の別ヴァージョン+大友+オルーク、というプログラムに変更された。
刀根の新作『MP3 コラプション・ピース』は、ヨーク大学(イギリス)のミュージック・リサーチ・センタ―のアーティスト・イン・レジデンス・プログラム「The New Aesthetics in Computer Music」の支援により、同センタ―で制作されたものだという。基本になるアイデアは、音声ファイルの圧縮のプログラムであるMP3の「圧縮と溶解の間に介入してファイルをコラプトさせ、音響のソースを全く新しい音響に変える」というものである。音声ファイルを1から1000までの間の変数を入力することによって崩壊させ、その結果エラーを発生させる。そこで崩壊したファイル自体の音響を使用するのではなく、そのデータの崩壊が起きた時にプログラムが報告する21のタイプのエラーをトリガーとして、それぞれに対応した応答を自動的に選ばせることによって、音源を全く別のものに変化させるというものである。
この作品も、これまでの刀根の作品に一貫した方法論である、「既成(レディ=メイド)のテクストやシステムや機械」などを宿主とし、それらに寄生することによって、宿主そのものを変換してしまう「パラ=メディア」としての作品と言えるだろう。それは、文字→画像→音響という変換によって生じる意味の置換と脱意味のプロセスを作品化した《Molecular Music》(1982-85)、中国最古の詩集『詩経』を用いて、CDという記録メディアにデータ自体の音をデータとして記録してパッケージ化した、《Molecular Music》のデジタル・ヴァージョンとも言える《Musica Iconologos》(1993)、紙テープで音とびを準備(プリペアド)された《Musica Iconologos》のCDを再生することよって、CDそのものがそれ自体の読み取りエラーによって演奏される《Solo for Wounded CD》(1996)、横浜トリエンナーレ2001に出品された、展覧会場内の赤外線センサーによる音声ガイドシステムに介入する《寄生/ノイズ》、万葉集にある4500首あまりを構成する漢字を全てデジタル画像に置き換え、それを音声データとして読み取る《Wounded Man'yo》(2000~)、といった諸作品によって、メディアや方法を変えながら実践され続けてきたものである。
このような刀根の作品の性質を考えたとき、刀根の音が今回のふたりの共演者との演奏にどのように作用するのか、ということは大きな関心事であった。そして、演奏された音と録音された音という、まったく性質の異なる音が、今回の演奏にどのような違いをもたらしたのかということを想像することは非常に興味深い。大友とオルークの演奏に対して刀根がどのような「演奏」を行なったのだろうか。今回の公演では、大友もオルークも刀根から送られてきた録音を事前に聴くことなしに、演奏を行なっている。つまり、刀根の音は録音されたものではあるが、演奏者との即時的な関係性においては、その場限りの状態が創出されていたということだろう。たとえば大友は、共演者の出す音に「反応しない」というような、ある意味では相互依存的な即興演奏を禁じるような方法を用いることもあるが、刀根の不在はそうした「反応しない」という状況が設定されたことになったとも言えるかもしれない。
それに先立って行なわれた、大友のターンテーブル、オルークのラップトップによるデュオは、繊細で静謐な部分を多く持ち、音そのものに聴き入るようなマチエールを感じさせる。後半のノイジーな部分とのコントラストが印象的だったが、全体的に緩やかな時間の流れを持ったものであった。それに対して、刀根の録音が加わったトリオでは、刀根の音が発された瞬間(再生のタイミングはPAスタッフに委ねられていたという)、会場の空気が一変するかのように、音そのものの速度の変化が感覚としての時間の変化として知覚された。刀根の音が、デジタルデータのプロセス速度を音像化したもののように鳴り響き、共演者たちはそれに対して自身の演奏の速度をあげていく。その意味で、デュオからトリオへの、この演奏の変化には、その場で突然発された刀根の音に対するリアクションがあっただろうし、刀根はその演奏にもたしかに寄生していたのだ。刀根は、ノイズ・ミュージックを音楽の外部として排除されたノイズの「再属領化」にすぎないと言っているが、今回の演奏において刀根は、その不在によってより外部としてのノイズという存在を顕在化させていたように見えた。